朝日稲荷神社

拝殿と本殿はパイプとスピーカーで繋がっています

御祭神
宇迦之御魂尊

東銀座駅から徒歩5分ほど。松屋通りに御鎮座。
地上に拝殿、屋上に奥殿というスタイルは、8丁目の八官神社が前列にあった。

しかしながら八官神社は神社庁からの反対により神社庁から離脱。宮司の死去により現在は遥拝所を残すのみとなっているが、
朝日稲荷神社は、町内の氏子の皆さんの努力により、現在もそのスタイルが保たれている。
しかも、ビル化された現在のほうがお賽銭の金額が増えたとか。。。

屋上の本殿には、エレベーターで8階に上がり、そこから階段で参拝することができます。
(時間、曜日によって制限あり)

拝殿にマイクが取り付けてあり、本殿前にスピーカーが付いているので、本殿を参拝しているとスピーカー越しに柏手や話し声が聞こえてきます。

(平成29年9月4日拝殿撮影)
(平成30年1月9日奥殿撮影)

朝日稲荷神社について
「朝日稲荷神社は古来より当地に鎮座し、守護神として厚く奉斎され、遠近の崇敬を集めていた。
しかしながら、安政の大地震により社殿崩壊し、三十間堀に幽没して以来、社地は荒廃し、浮浪の徒付近に散集して見るかげもなかった。
大正6年、鎮座を襲った大海嘯によって、三十間堀より霊体が顕れた。建築業館岡集が当地に奉安したが、関東大震災により、転地を余儀なくされ、神社は銀座三丁目町会の奉斎するところとなった。町内崇敬者一同神威を畏み奉り、町内守護神として奉斎しようとしたが、当時社地は東京市有地に編入され東京市の管理下にあった。三丁目崇敬者は時の東京市助役を訪ね、社地の下附を懇請したが叶わなかった。しかしながら、土地使用黙許の許可を得、社殿が建立され、社地は整えられた。初午が盛大に祝われ、縁日は四丁目の出世地蔵尊のそれと伍して多くの人々を集めた。こうした、町内守護神として広大な神徳顕わすにいたったが、戦災のため社殿はことごとく烏有に帰した。
戦後社殿を再建し、昭和27年宗教法人朝日稲荷神社となる。以後三丁目町内会によって厚く奉斎され、その神威はいや増して広大、信心する者にあまねく守護を及ぼしている。
昭和58年、隣地の大広ビル改築にともない、共同ビルを建築するにいたった。ビル一部の1,2階を吹き抜け拝殿とし、本殿を屋上に安置したが、パイプにより大地につながり、拝殿での参拝が本殿に届くよう工夫されている。時代に先駆ける銀座の地にふさわしい神社となった。
毎年初午に盛大に祭を催し、また、大銀座まつりの際は銀座八丁神社巡りの札所として、銀座三丁目にとどまらず、多くの人々の崇敬を集めている。
商業の神として商売繁盛はもとより、当地に鎮座して以来天災なく、また、縁結び、家内円満にもその神威はとどまるところを知らない。
昭和63年 銀座三丁目町会」(拝殿掲示より引用)

朝日稲荷神社写真館(画像クリックで拡大)


住所・地図

東京都中央区銀座3-8-10
東京メトロ日比谷線 都営浅草線 東銀座駅A8出口より徒歩1分

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