抜弁天 厳島神社

小高い丘の上に鎮座されるお社

新宿駅からちょっと離れた、小高い丘の上、三叉路の交差点に御鎮座。
昔はもっと大きい敷地だった様ですが、道路拡張等で現在の大きさに。
都心の車が多数通る交差点にありながらも、境内に入ると空気感が一気に変わります。
また、手水舎の龍神様の大きさ、迫力は他の神社にはないと思います。
横から龍神様を観てみると、ちゃんと尾の方までちゃんと作ってある。
(胴体の半分くらいまでの龍神様が多い)
手水鉢が、池の中にあり清めた水がそのまま池の中に流れる仕組みは珍しいです。

抜弁天の参道は南北に抜けるようになっている珍しいタイプ。
参道が南北に抜けるからという理由と創建した源義経が苦難を切り抜けたという言い伝えから『抜弁天』という名前で崇敬されている。
(参拝日:平成27年1月24日)


境内掲示による抜弁天厳島神社の由緒

白河天皇の御世、応徳3年(1086)鎮守府将軍・源義家公は、後三年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願した。義家は奥州鎮定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命を祀ったのが当厳島神社の始めと伝えられている。
江戸時代参道は南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から、抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つに数えられている。また山之手七福神を構成する弁財天でもある。
江戸時代の地誌、大久保絵図(安政4年)には、別当二尊院・抜弁天と記載され、また他の絵図にはここに稲荷神社があったことも示されている。
徳川綱吉将軍の「生類憐みの令」により、この附近に2万5千坪の犬小屋が設けられていた。(境内掲示より)

抜弁天厳島神社写真館(画像クリックで拡大)

住所・地図

東京都新宿区余丁町8-5

都営大江戸線・東京メトロ副都心線 東新宿駅A3出口より徒歩8分

厳島神社抜弁天