恵比寿山下伏見稲荷神社

山下の名は旧町名から

御祭神
宇迦之御魂命

明治20年頃創建。
昨年建て替えられたため社殿は新しいのですが、しかしながら場の空気感は重厚な雰囲気に包まれています。
こちらは、屋敷神様の御由緒ではなく田畑の五穀豊穣の守護神として建立されたとの事。

榊やお供え物が献上されていて、絵馬も書けるように置いてあります。

昭和41年まで、この地域は山下町という町名でした。
恵比寿の地名は、ヱビスビールが由来との事。
もともとは、『大黒ビール』という名前にする予定だったそうですが、すでに横浜に大黒ビールが存在してて、恵比寿ビールとなったそうです。

もし、そのまま大黒ビールとなっていたら、現在の地名は大黒町、大黒駅になっていたのでしょうかね?

小さいお稲荷様は都内にたくさんありますが、お世話される方の減少や資金面の問題により、年々少なくなっている状況があるそうです。
こちらのお社は、近隣の企業(現在の敷地はとある会社の敷地内)や地域住民の奉納金により建て替える事ができたとのこと。
この先もお社は減って行く事になると思いますが、出来る限り参拝して記録に残せたらと思います。

(平成30年4月1日参拝撮影)

恵比寿山下伏見稲荷神社について

そもそも、この山下伏見稲荷大明神は、明治二十年当時まだ田畑山林の広がっていたこの地に、五穀豊穣の守護神として村民の信仰の拠りどころとなっておりました。
その後星移り物変わり、いつとはなしに田畑山林は商店街へと変わり、その間、数度にわたる近火にも類焼を蒙ることなく、商売繁盛の大明神として、その縁日にはゆかりの商人の出店も数百に及び、繁昌を極めたものであります。
そして昭和二十年五月二十四日には東京空襲で戦火に遭いましたが、信仰心の厚い氏子多数、特に故長島國治氏の御厚志により、同二十一年七月この地に再建造営されました。
その後三十年を経て、その間の熱心な信者のお守りにも拘らず、社殿の腐食甚だしく昭和五十一年三月、多くの信者の方々のご奉納により新たに改築が行なわれました。
更に四十数年の時が流れ、平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災の影響により社殿礎石に亀裂が目立ち、新たに社殿を建替えることとなったものであります。
故長島國治氏の子孫の故子之吉氏と祐司氏の御厚志により引続きこの地を提供していただき、稲荷大明神を信仰される多くの方々や近隣企業の皆様方のご奉賛により社殿の造営がなされ、境内や参道も整えられました。
そして、稲荷名称も地名に沿って山下伏見稲荷から恵比寿山下伏見稲荷へと改められ、平成二十九年四月の完成を見たものであります。

平成二十九年七月吉日 恵比寿山下伏見稲荷講(境内掲示より引用)

恵比寿山下伏見稲荷神社写真館(画像クリックで拡大)


住所・地図

東京都渋谷区恵比寿1-22-21
JR・東京メトロ日比谷線線 恵比寿駅東口より徒歩5分